2人目妊娠8週目で繋留流産→自然流産するまでの話(2019.12.1~2020.1.20)

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はじめに

こんにちは、みの丸です。

今回は、私が2人目を妊娠してから繋留流産が発覚し、通院が終了するまでのことを記したいと思います。

流産が発覚した時期や体調の変化などを詳しく書きますので、同じような境遇の方の参考に少しでもなれば、と思います。

というのも、私が妊娠7週で繋留流産の可能性あり、と告げられた時、暇さえあれば流産について検索しまくったからです。

同じ時期に流産した方の詳細なブログを読んで、「自分もこんな風に赤ちゃんが出てくるのかな」と不安になったり、逆に流産かもしれなかったけどその後無事に育ったよ!っていう方を見つけては「自分もこのパターンかも」と期待したり。

調べると落ち込むんですが、調べずにいられなくて、もう読んでいないサイトはない、くらいに検索しまくりました。

その結果、落ち込みを通り越して覚悟が決まり、精神的にだいぶ落ち着くことができました。

気になることを検索して心の準備ができることで、気持ちの整理が出来たのだと思います。

その経験から、私の個人的な体験が、同じような境遇に置かれた方の情報収集や心の整理に役立てれば、と思いこの記事を書くことにしました。

妊娠の経過や持病の有無などによって個人差の大きな話だとは思いますが、こんなケースもあった、という1つの参考として読んでいただけたら、と思います。

妊娠判明~流産確定

2人目の妊娠がわかったのは、生理予定日の約4日後にあたる12月1日です。妊娠検査薬を使用し、陽性反応がでました。

その後は、ごく軽い胸のムカムカ感と猛烈な眠気が始まり、腹痛や出血などの異常な症状もなく、普通の妊娠生活を送りました。

12月19日、最終月経から数えて妊娠7週目に入って初めて産婦人科を受診し、エコーを見ましたが確認できたのは胎嚢のみ。

それも13.1mm、4週5日相当という小さなサイズで、中に見えるはずの卵黄嚢も胎芽もなく、真っ黒い袋のみが写っていました。

先生からは、排卵日の大幅なズレがないのなら小さすぎる、と言われ、また1週間後に受診することになりました。

生理予定日の約4日後のフライング検査で陽性が出たことから、排卵日が大幅にズレている、ということは考えられず、頭に「流産」の文字がよぎりました。

それからは、これといった体調の変化もなく過ごしていたのですが、12月25日の朝から茶色い出血が始まりました。強い痛みではないけれど、キリキリとした下腹部痛も時折感じました。昼を過ぎてからは鮮血混じりになり、仕事を早退してくれた夫に病院に連れていってもらいました。

エコーを見ると、胎嚢は前回とほぼ変わらない15.9mmで、やはり妊娠週数よりかなり小さめ。卵黄嚢と胎芽も相変わらず見えず、「繋留流産」との診断が下されました。

繋留流産とは、胎児の成長が止まっているけれど、子宮内にとどまっている状態のことをいいます。

実は、今回の出産は総合病院でしたいと思っており、これまで紹介状を頂くために出産を扱っていない産婦人科にかかっていました。

しかし繋留流産となってしまったため、緊急の際24時間対応できる、出産を受け入れている産婦人科に改めて通うことになりました。

翌日の12月26日、改めて産科対応の産婦人科にかかりエコーを見たところ、胎嚢は前日から半分ほどの8.7mmとなっていました。

繋留流産から、流産が進行している状態である「進行流産」に移行している、と診断されました。

まだ微かに残っていた「もしかしたら…」という期待も打ち砕かれ、いよいよ流産の現実を受け入れました。

先生からは、この後の処置としては手術自然流産かの2択になる、と言われました。

恐らく妊娠5週辺りでの早期の流産で、痛みや出血も少なく排出できると予想されること。また、長男を帝王切開で産んでいるため、手術をすると子宮の傷から感染症や合併症を起こす確率が普通よりも僅かだが高い、ということから自然流産をすすめられました。

手術よりも母体に負担が少ない、と言われ、自然流産を選択。この日から、自然に赤ちゃんが出てくるのを待つ日々が始まりました。

進行流産~お別れ

翌日の12月27日も夫が休みをとってくれたので、長い年末年始がスタートしました。

この日の体調は、相変わらず妊娠時特有の眠さやダルさが強かったです。ただ、胸のムカムカや気持ち悪さはいつの間にか感じなくなっていました。思えば出血より前から無くなっていたような気がします。

あとはだんだん出血量が増えるにつれて、生理痛のような腰痛が出てきました。私は生理痛がお腹に来ることはほぼないのですが、恐らく生理痛のような腹痛も時々ありました。

しんどいけど寝込むほどじゃない、くらいの体調で、1日のんびり過ごしていると、夜トイレに行ったときレバーのような1cm大くらいの小さな赤い固まりが出てきました。

なんじゃこりゃ!と思っているとドロドロした血の固まりがどんどん出てきて、とりあえず先に出てきたレバーのようなものをキッチンペーパーで包み取っておきました。

大きさ的にももしやこれが胎嚢なのか?と思い翌朝病院に持っていくことにしました。寝て起きたら妊娠時特有の眠さやダルさが無くなり、体が軽くなっていたので尚更胎嚢だと思い込んでいました。

そして病院で見てもらうと、胎嚢ではなく子宮内の何らかの組織だろう、とのことでした。エコーを見ても、7.6mmとさらに小さくなっていましたが、しっかりお腹に残っていました。

もうお別れだと思ってしんみりしていたので肩透かしをくらいつつも、体のダルさがなくなったので気分も少し軽くなりました。

医学的根拠はないですが、子宮内容物が排出され始めたことで、母体が妊娠終了と判断して妊娠時の症状がなくなったのかなーと思いました。

不思議と、そのくらい急に楽になりました。

その後1度だけ、腰痛と腹痛がかなり重くて歩けなくなり寝込んでしまいましたが、痛みが酷いときは痛み止めを飲んでいいと言われていたので、ロキソニンを飲んだらすぐ治まりました。

それ以降は、生理2日目より多いくらいの出血とレバー状の固まりが頻繁に出るのと、軽い腰痛と腹痛があるのみで、そこそこ普通の生活が送れるようになりました。ずっと重めの生理2日目が続いているような感じです。

そのまま何事もなくお腹の赤ちゃんも一緒に家族で年を越し、長かった年末年始休みの最終日1月5日、トイレで今までと明らかに様子の違うものが出てきました。

何かが出てくる前兆も痛みも全くなく、突然スポーンと固まりが飛び出てきました。

沈んでしまったので慌てて掬い出し見てみると、ゴルフボール大の赤黒い丸い固まりで、両端が紐状になっていました。

この直後は出血が増えましたが、数時間するとみるみる出血が減ってきたので、「ああ終わったんだなぁ」と思いました。

この時のものもキッチンペーパーに包んで取っておき、翌日1月6日に病院に持っていきました。

エコーを見ると子宮の中はキレイになっており、2週間後の診察で問題なければ終了です、と言われました。

持参したものは、検査に出して病気の有無などの結果を2週間後の診察時に伝えてくれる、とのこと。

出血が始まってから12日でのお別れとなりました。

自然流産後の経過

その後は、それまでの腰痛と腹痛が嘘のようになくなり、出血も徐々に無くなっていき元通りの元気な体に戻りました。体調はかなり良かったです。

ただ、1週間後くらいからカンジダらしき症状が出てきて、少しずつ痒みが強くなっていきました。

妊娠や出産によるホルモンバランスの乱れで発症することもあるそうなので、これも流産の影響の1つかもしれません。

1月20日、最後の診察で痒みの方もついでに診ていただき、カンジダ腟炎と診断され、挿入タイプの薬を入れられ、塗り薬も念のため出していただきました。

持参した丸い固まりについては、胎児絨毛組織及び脱落膜組織であったそうです。赤ちゃんと、その周りにできた胎盤のもとになるものなどの様々な組織が、一緒になって出てきたようです。

検査結果は、悪性の腫瘍や胞状奇胎もなく、ごく普通の流産だった、とのことでした。

そしてエコーを確認。子宮はキレイに戻り、次の子宮内膜ができている。2~3週間後には生理が始まるでしょう、とのことでした。

もう流産は完全に終了し、普通の生活に戻って次の妊娠にトライしても大丈夫、と言われ、安心と寂しさとない交ぜになりながら通院終了となりました。

【追記】流産後の生理

1月20日の診察の後、1月25日に生理が始まりました。

先生からは、多少前後はするが2月の2~3週目辺りに始まるかも、と言われていたので、かなり早く生理が始まりました。

経血の量もいつも通りで、生理痛も無く、普段通りの生理でした。

生理が終わった後の体調も、排卵日の時期にはおりものが増えたり、基礎体温が下がったり、いつも通りのリズムでした。

その後、2月24日に次の生理が来ました。周期は30日で、これもいつも通りの生理周期でした。

生理周期の狂いが無かったため、これで完全に体が回復したんだな、と安心しました。

それまで体調不良などはありませんでしたが、もしも流産後に生理や排卵に異常が出たら、と不安を感じていたので、ようやく日常に戻れた感覚でした。

流産発覚から終了までの心境

最後に、流産がわかってからの気持ちを振り返りたいと思います。人の気持ちを読むのはしんどい、という方はどうぞ飛ばしてください。

妊娠検査薬で陽性が出たときは、夫と一緒に大喜びしていました。年末年始の遠方の実家への帰省はやめて、自宅でのんびり過ごすことを決め、予定日はいつだ性別はどっちだと、まだ先のことを楽しみに話していました。

それだけに、初めて病院に行った日は夫婦共にショックが大きかったです。

長男の時は心拍が見えるのが遅く、健診の度にかなりナーバスになってしまったので、今回は確実に心拍のわかりそうな7週過ぎに初めて病院に行くことにしていました。

心の隅で流産の可能性は踏まえつつも、心拍が見えるのを楽しみにしていたので、実際にエコーで真っ黒な胎嚢を見たときは信じられませんでした。

長男の時も心拍が見えたのは8週間近だったし、うちの子はみんなのんびりしてるだけだ、と言い聞かせて、帰宅してすぐに長男のエコー写真を出してきて見比べました。

しかし長男のエコーは、妊娠5週の時点で小さな胎芽が見えており、胎嚢も16㎜ありました。その後も健診の度にちゃんと大きくなっていて、今回の赤ちゃんとはあまりにも違っていました。

エコー写真を見比べて、その時初めてこの赤ちゃんには会えないかもしれない、と思いました。

それから検索検索の日々が始まり、同じ週数、同じ胎嚢の状態の方の話を片っ端から読んでいきました。

ちゃんと育った、とかこんな風に流産した、とか初期流産は受精の時点でその運命だった、とか色々な情報を見て一喜一憂して、夫とも共有してたくさん話をしました。

そしてなるようになるしかない、と開き直れるようになった頃、出血が始まり繋留流産が確定しました。

その日の夜は長男を寝かした後、泣き疲れて寝てしまうまで泣きました。

悲しい、会いたかった、抱っこしたかった、そういった気持ちを全部吐き出したらすっきりできました。

それからは、残りの時間をお腹に話しかけながら、心穏やかに過ごせたと思います。

そして、夫とともに赤ちゃんにたくさん感謝できるようになりました。

大きくなれない運命の子だったけれど、それでも私と夫のもとに来てくれたこと。

毎年の帰省も楽しいけれど、家族だけで過ごすお正月は初めてだったので、貴重な時間をくれたこと。

クリスマスも長男の2歳の誕生日も年越しも、長い年末年始のお休みを全部一緒に過ごしてからお別れしてくれたこと。

いなくなってしまって寂しいですが、この子のお母さん、お父さんになれたことに感謝しながらお別れすることができました。

カレンダーで振り替えると、妊娠がわかってからたった1か月と少しの出来事でしたが、家族にとってかけがえのない時間を過ごせたと思います。

まとめ

以上、繋留流産の記録でした。

全妊娠の15%、10人に1人以上の確率で起こる流産。

誰の身にも起こりうることですが、すんなりと受け入れられる人は少ないと思います。

現代医療の力でもどうすることもできない、自然淘汰されてしまった命ですが、可愛い我が子に変わりはありません。

お別れを乗り越える方法は人それぞれですが、この記事がほんの僅かでもそのお役に立てたら幸いです。

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